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今では当たり前にあるパソコンにもこういう歴史があります~プログラミングを始める前にあった光景~

 先日、ネットの歴史についてのYoutube観ていたら、今のX(旧Twitter)のイーロンマスクさんもOSの開発に携わっていたんですね。もともと、軍事用に開発が進んだコンピューター開発の経緯から今では無くてはならない生活必需品の一部であるスマホなどのもとになるわけで電化製品の一つとして街の電気屋さんでも売られる情報家電となるわけですね。

 ところで、もう、40年以上前の話ですが会社でPC8000シリーズ「ウィキペディアより:PC-8001は日本で1979年5月9日に発表され、9月20日に出荷が開始された」のPC-8001カチカチとマシン語やBasic言語で雑誌を見ながらゲームなどを作り遊んでいたころの話をします。

 その頃のCPUは8080とかZ80とかで8ビット「ウィキペディアより:インテル 8080、i8080)は、インテルによって開発された8ビットマイクロプロセッサであり、1974年4月に発表された。同社の8008の後継に当たるが命令の互換性はない。8080の命令は、後に拡張され、ザイログZ80日立製作所64180に継承された。」のマシンが最先端の時期の話です。興味ある先輩とマシン語を駆使して会社のQC(キュー・シー;品質管理)にも技術改善の発表などをして楽しんでいたのを想い出します。

 その内に、PC-9801(ピーシー・キューハチ)と称してのNECの98シリーズが「ウィキペディアより:1982年(昭和57年)10月13日に発表された初代機「PC-9801」(シリーズ名と区別するため「初代」「無印」とも呼ばれる)は[2]16ビットCPU Intel 8086互換のNEC μPD8086を5MHzで駆動し、128KBのRAM (Random Access Memory)(最大640KBまで拡張可能)を搭載する。グラフィック画面解像度は640ドット×400ドット8色。当時の水準としては高精細かつ高速なグラフィック処理のために、自社製の汎用グラフィックコントローラGDC(Graphic Display Controller μPD7220)を2個、テキスト用とグラフィック用にそれぞれ使用している。」頭角を現してきた時代にも、僕の周りでは本格的にプログラミングが行われていたわけではなく、このころにはテトリスなどのゲームに加えて、一太郎や書院と言ったワープロソフトがこのパソコンを使う主な用途となっていました。

 会社ではみんながこぞって、少ないパソコンの席を奪い合い、会社の資料作りにせっせと時間を費やす日々でした。シートフィーダーと呼ばれるA4判の用紙に印刷できるのプリンターの付属品を使うことにより、もう、手書きで会議資料などの文書を作ることもなくなりました。

 因みに、このパソコンに頼る前は一時期、和文タイプが我が社では主流だった時代があります。しかし、データ保存できる(当時は8インチのFDDフロッピーディスク)パソコンは当時として画期的で、台数が限られたパソコン席に向かう輩が多く見受けられ、フロッピーが刺さった(FDDを入れっぱなしにして退席する)ままになっていると、席待ちしている輩たちが、「だれですかぁ~、抜くよ(保存前のフロッピーを)」ってもう、奪い合いになっていたのを想い出します。

 次に、これに取って代わったのが富士通ワープロOASYSウィキペディアより:OASYS(オアシス)は、富士通神田泰典らによって開発された、日本語ワードプロセッサ(以下ワープロ)専用機およびワープロソフトの名称であり、「Rupo」(東芝)、「書院」(シャープ)、「文豪」(NEC)と並んで日本語ワープロ専用機の4大ブランドの一角であった。」ですね。個々人のデスクに卓上型の機械が乱立しました。この当時はパソコンもOASYSも会社の物では台数が足りなく、表つくりや文字飾りなど見映えも良く、データ保存が出来て持ち歩きがしやすい3.5インチのFDDフロッピーディスクが主流となり、個人で購入してまでも持つ社員が多くいました。

 当時は、まだ、かなり高価なうえに地方に販売店が無く、東京にいる先輩に頼んだりして購入していたのを想いだします。当時パソコンとプリンターセットで70万円以上した記憶があります。OASYSも確か20万円以上していた気がします。当時の給与が20万円にも満たなかった自分たち平社員にはかなりリスキーなおもちゃでした。僕は横浜に出張に行った際に駅近くの電気屋さんで中古12万円だったかのOASYSを買って帰り仕事先で使っていました。

 今でも当時、無理を言って(もう、独断でしたけど)買ったパソコンとOASYSは自宅に、まだ放置されたまま保管されています。

 その次に来たのがAppleのコンピューター通称Macマックですね。これは、もう、プレゼン用の資料作成にグラフィックが綺麗で、しかも多様で豊富なソフトがマウスをクリクリと動かし、手先一つでの操作だったので瞬く間に社内に広まりました。

 ところが、このMacWindows95の時代を迎えると、一部の根強いファンを除き、あっという間にお蔵入りしたのを想いだします。大量のMacが放出されて粗大ごみ扱いになっていました。

 その後、現在に至ってもこのマイクロソフトWindowsが版数を変えながらも長く幅を利かせる時代が続いています。更に、スマホタブレットでほとんどの事が済んでしまう今のような、何でもアプリに頼る時代が来ることなど、その時には露ほども予期していませんでした。時代移り変わりを強く感じるこの頃です。