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僕のプログラマーを副業にしてのしくじりです~100%以上は無いよ、100%以内でOK~

 僕は30歳代で副業プログラマーを始めて、あれから30年間も経ちました。今思えば最初は興味から始まり、ほんの手始めにと思っていたのが、その内に本業とは別にオフを依頼者との打ち合わせや仕様合わせに使う事に別の生きがいを感じるようになっていました。

プログラミングにちょこっと興味がある、面白そうだから、在宅のテレワークを考えています~ぜひご相談ください~

 その当時はインターネットも創世記でしたからHTMLが掛けてPerlを使う様なCGIを理解して使えると言うだけでどんどん依頼が舞い込むような時代背景がありました。

 単価も結構高く内職程度に考えていた自分の想像をはるかに超える様なものでした。もう、真剣に独立を考えてみたものです。事務所も借りるなど将来を視野に入れたビジネススキームに期待を込めていたのを記憶しています。

 色々な方々や会社さんと個人としてのメールやSkypeなどのやり取りはとても新鮮でした。顧客や関連者の所在は全国に渡り様々でした。ネットを使えば時間や場所を選ばずどんな時でも様々なビジネス会話が展開して行きます。どっぷりとつかった生活が、さも当たり前となります。

 そういう時に本業でも油の乗り切った40歳代となるわけです。会社の仕事も多忙を極めだします。役職もついて周りの期待も高まる中、プログラマーとしての成果に没頭してしまう自分のマルチな姿に「できる人」を重ねてしまいます。

 元々、通信関係の技術職で就いているのでロジックの解析やデータを扱うことへのアレルギーは全くなく、強い優越感を感じていました。今で言うところ論理的な思考には自身でもかなり自信を持っていました。下手をすれば何でも論理的な思考でYesかNoで決めてしまおうとしていました。

 やるなら「今でしょ」と言う様な流行語もありましたが、当時の自分には営業に対しても相手がどういう役職の方であろうが、会社規模にも関係なく、進めるなら今しかない、これしかない、やらないと言う選択肢は無い、それこそ「結果はYesしかありませんよ」という自身の営業トークに相手も押され気味になり頷くのが、楽しくてしょうがない時期でした。

 とうとう、段々、そういう自分に勝手に酔いしれ「頷かせることが主題」になっていたように感じます。

 ビジネスは結果です。確かに会社や副業プログラマーとしての評価は上がりました。しかし、あっちにもこっちにも途中でポイ捨てするな無責任きわまりない様は当然、自分の将来に跳ね返ることになります。

 前向きなベクトルが強ければ強いほど、周囲へのベクトルに気遣い、自重して前向きなベクトルを抑え、強さより中身の質(方針や計画)を心掛けるべきでした。

 65歳を前に自分の力だけで100%以上が出せないと感じ始めるこの頃です。

 「出来る事に見合う100%であれば良い」

 こう考えるようになった現在は、再び色々な事にチャレンジしてみようと思うようになりました。

 まずはスモールで自身が持っている、危険物乙四種や大型自動二輪、大型特殊の資格をフルに生かせる仕事や趣味を新たに考えています。