前回のブログでは、ある研修センターにおけるプログラミング研修での経験を記しましたが、その当時の指導者たちが何故、あの程度のプログラミングで驚いてアルゴリズムさえも理解できなかったのか?
その当時、私が勤めていた会社を含め多くの企業ではその道の経験者が年功序列で指導者に就き、任期を終えて上位のポストに就くのを慣例としたていたことがあります。
しかし、前述した様に指導者はあくまでも、ある種の業務や業種のエキスパートであってもプログラミングのエキスパートではありません。
当然、彼らが求めるアルゴリズムはその経験を基にした憶測の範囲を出ず、平凡な結果を求めていたのでしょう。
目的や目標に応じて「適材適所」に加え、目的意識を自覚した、適した指導者のもとで習う事が必要です。でないと有益な人材であっても結果を出せずにおわります。
人は、これは何だろう?あれかな?これかな?みたいに自分の物差しの尺度による経験値でまずは判断しようとします。
そもそも「論理的な思考が出来る人材の育成」とは、「多角的な想定や発想」で”成果を判定”したり”識別”する人材を求めているのではないかと思います。
当時の自分も「明快に完結させたい」との一心で、ふと考えたことが結果的に指導者から見て想定外の評価を得るわけですが、初めから「驚かせてみたい」と考えて組み立てようとしていたわけではありません。
”0”か”1”のロジカルな事が”失敗”、”成功”を繰り返すうちに、目指すものとのマッチングがより明確に見えて来るようになっていたに過ぎません。より省エネな力で目標に向かえ、目的に達することになれのが理想ですからね。
ある意味、”0”と”1”はシンプルに物事を考えて進められると言う事が言えます。しかし、一方では、”0”か”1”のどちらかにしか考えられなくなる単一的な発想しか生まれない面も持っているのではと考えます。
「論理的思考が出来る人材育成」では、その時々に応じて”0”と”1”を切り替えて使い分けられる自由度の高い、AI発想の考え方が必要です。
60歳定年退職をする5年ほど前から次の職探しを始めていました。何故か?ようやく定年退職した自分がホッとしたその時点で職を探すことなく、そのまま”リタイヤ”してしまう先輩や同僚を見ていると大きな違和感を感じていたからです。
そんな風に思って世の中は都合の良い転職先がさっさと決まるほど甘くなく、縛りの無い”のまど生活”を主体とした自由なフリー生活を選択するんだろうと家族も同様に考えていたからです。
自宅の返済が70歳まで続く立場からすると許される行為では無く、安定収入は必須です。
働かなくてはいけない、では、どうするか?在職中から働いているラインを作り続ければ良いのではないかと思いました。
そう決めたので退職後も各社の各種の面接を積極的に受け、失業保険を受給しながらアルバイトもしていました。
雇用保険の受給期間が延長されるパソコンスクールに通いながらもアルバイトは続け、卒業を待たず新たな転職先も決めました。実際にパソコンスクールでは資格取得に満足して在校中に職探しをする事を推奨されながら、殆どしない方が多いのが現状です。
転職先では面接時に副業の同意も得てWワークも始めています。合わせて在宅プログラマーも数十社に向けて履歴書を送り、ネットや電話面接も受けて数社からOKを貰い、勤務時間の自由度が最も高かった県外のIT関連会社い決めて始めています。
自分的には、目的地を目指すのに適した交通機関を選択しているのと同じです。とてもロジカルな仕事の選択だったと思い返しています。